8月の頭から20日過ぎまでは、たしかに酷暑でした・・・。

それが過ぎると、いきなり、秋っ!?
9月に入れば、プールどころか、琵琶湖をひっくり返したような局地的豪雨が降ったりして、ただ、ただもう・・・ビックリ仰天の昨今ですよね。
CIMG6944みなさま、いかがお過ごしですか?

・・・はてさて。
毎年恒例、8月にはささやかですが、はわゆ兄と2人で短い旅に参ります。

お盆とお正月はもちろん、はわゆママが生きていた頃は、秋の紅葉狩りにも出掛けたものですが、・・・渋谷で生活をするようになってからは、この年に2回の旅行のみになりました。

はわゆ兄は、筋金入りの鉄道オタク、鉄っちゃんでございます。。。

なので、今回は・・・はわゆサンの言葉を待たず、早速にも、せっかくだから北陸新幹線に乗りたい(!)と、言い出し・・・。
当時、ちょこっと振りまわされていた・・・はわゆサン★
まぁ、いいやと思ったのが、運のツキ。
CIMG69542泊3日まさか県を3つ股がされるとは、思いもよりませんでした
・・・今回は、そんなお話をしてみましょう。(^^;;

はわゆサンは、どちらかと言えば、山歩きもするのですが、町をふらふらしてみたり。
山道を1人で歩いていたりして、同じ旅人からは、
「貴女はすごい、世界中、どこへでも1人で旅立って行けるよ」
太鼓判を押された事も過去、ありましたが、・・・はてさて。(ちなみに写真は、銭屋記念館の、亀がやたらと寄って来る池★)

朝の6時に東京駅は、銀の鈴で待ち合わせ。

北陸新幹線「はくたか」に乗って、まずは金沢へ。
社内で駅弁など囲みつつ、最近あった事を語らいながら、ビールなど嗜みます。

CIMG6956はわゆ兄の旅は、まず大抵は駅でレンタカーへの乗り換え。
・・・荷物の心配もなくてラクなんですが、黙っていると、どこまでも走っていくので、一体どれ程の距離を移動しているのか、地理オンチの・・・はわゆサンには、全く見当が付かないところが、悩みのタネです。 (^_^;)

金沢駅に着いて、まずは近場の「石川県銭屋五兵衛記念館」へ参りました。
銭屋というのは商号のようで、その商家を移築して再現。
・・・なんでも、もともとが豪商(!)だったのに、越前町から味噌屋町へ移ったのを記念してか、古着屋と呉服商まで始めちゃったんだそうです。
・・・益々とお家は栄えていったんだそうですが、ある日、五兵衛さんは質流れの船を手に入れます。

CIMG6959この小さな小さな船が切っ掛けとなって、世界に繰り出す密貿易人(!)へと成長していくのでございます・・・。

五兵衛さんは、お江戸の頃はというと、寛政10年。
十一代家斉の繁栄時代に、その船で大海原へ繰り出すようになりました。
・・・当時の年齢は40を超えていたそうですが、お江戸の頃は「人生、50年~♪」の時代ですから、もう相当な壮年だった事と思います。
この小さな小舟から始まって、やがては北前船へと成長し、それを何漕も扱うようにもなっていきます。

北前船といえば★

・・・現代では陸路を走るトラックや列車、たまに飛行機が流通をスムースにしてくれていますが、お江戸の頃なら、馬や船、あと人の手しかありません。(^^;;

帆船の北前船は、お江戸の津々浦々の港を走り、どこかで安い荷を買い付けては、またどちらかの地で高く売りつけ、商いをしていきます。
CIMG6961・・・もともと大金持ち(!)なのに、こんなボロ儲けアイテム(!)を手に入れてしまっては、座敷わらしも太刀打ちできません。(^_^;)

そんな・・・銭屋さんでしたが、遠洋に繰り出すようになった折、とあるロシア船に巡り合います。
どうやら、食べ物が欲しい様子なんですが、この人に何かを与えてしまうと、当時のお江戸は鎖国制度★
銭屋さんは、密貿易人として、打ち首にされても文句が言えません。

ですが、銭屋さんはそれに応じました。

そうすると、相手はその金品に見合うモノとして、物々交換がしたかったようでした。
・・・こうして、銭屋さんは「よその国の人との取引」を学んでしまいます・・・。
images (2)これを切っ掛けに、当時の日本人としては、絶対に許されない新天地への大冒険へと誘われました。

フィリピンやアメリカ、そしてホントか判りませんが、オーストラリアにまで、船を駆り立てて行ったというから、驚きです。

・・・これにはこっそり、金沢藩のお許しがあったからこそ、出来た事。

金沢藩巷では「金が摂れるから、豊か」なのだとばかり教えられて来ましたが、実はちゃっかり、こうした密貿易を経て大枚の上納金を受け取っていた(!)のですね。
images (3)一国一城の御触れが出ていながら、金沢城の他にもう一つ、幕府にナイショでお城を持っていた事が、先日の「ぶらタモリ(NHK)」で放送されていましたっけ。(゜-゜)

・・・ところが、こうした銭屋さんの行いは、幕府に見つかったら「御家取り潰しの憂き目」に遭う事はもはや、判り切った事。
政変の礫で、銭屋さん。
こうした自由な旅が、出来なくなってしまいました。

こうした事から銭屋さんが、「世界を見る眼」を持つようになり。

人々の為に、飢饉を心配して「サツマイモの栽培を奨励(!)」したり。
のちには、河北潟干拓を開墾して、水田を作るなる大改革にも発展していきました。

CIMG6963秋田の八郎潟ではありませんが、池を埋め立てて、巨大な水田を作れば、飢饉の折のどれほどの民が救われるでしょうか。

銭屋さんは、息子の助けもあって、まずは理解者を増やして開拓を進めていくのですが、・・・なんと(!)
何故か、開拓中の池の中の魚や鳥達が、どんどんと死んでいきます。
「これは、銭屋が毒を池に投げ込んだに違いない」
という噂が出て、銭屋さんと息子が捕らえられ、銭屋さんは獄死、息子さんと確か庄屋さんは、磔の刑に処せられてしまいました(!)

・・・何故、池の生き物が立て続けに死んだのか、今もって判らないんだそうです。
yjimage-(1)ただ、何らかの理由で「池の水が、劣化した」のではないか・・・という見解も。

・・・ところで北前船といえば、この「ねんきら」でも、そちこちに名前が出て来ます。
歴史と調べモノが苦手な・・・はわゆサンでも、少しは知恵が出来てきたようで、本人はホクホク顔でございました。 (^^;;

さて、銭屋を出ると、そこにはヤマト醤油・味噌の製造工場があるようです。

味噌蔵や醤油蔵が立ち並び、そちらでお食事も出来るようす。
発酵食美人食堂なる処で、発酵食美人ランチを、兄妹で戴く事に致しました。ヽ(^◇^)ノ
CIMG6975・・・ちょっと変ってますが、名物の寝かせ玄米が美味しく、はわゆ兄はお代わり(1杯まで、出来る)までして食べてました。

それから、銭五さんの御友達だという、からくり名人、大野弁吉さんの「からくり記念館」へと参りました。

実際に触って楽しめるカラクリが幾つもあって、それなりに楽しめるんですが、「開かない小箱」などを手に取ると(それがまた、試せる箱の数が多くて★)、旅先で時間が掛かるのでつい、イラッ・・・としてしまいました。(^^;;

けっこう現地で楽しく遊び、それから源義経で有名な安宅の関跡に行きました。

CIMG6984例の、歌舞伎でも有名な勧進帳の下りの彫刻があちこちにあり、テレビで見たハズなのに、ストーリーの細かい処は、すっかりと忘れていたんですが★
「安宅の関」というのは、安宅の御寺に仮りに設けた関所だったのですね。

・・・こうした罠をしかけて、源頼朝は義経一行を、じわり、じわりと藤原一族の許へ近づけていったという下り。

CIMG7004安宅の関所の裏ステキな砂浜で、一瞬泳ぎたい誘惑に駆られましたが、このまま宿へ行くと言うのでホクホクしていると、そこからまさかの一時間の車旅っ!

・・・宿に到着する頃には、世間は大分に黄昏て来て、夕食までの30分程度しか期待の温泉が楽しめずで、ちょこっとガッカリ★
宿の湯船が狭いので外湯に出たのですが、こちらは、朝風呂はやっていないんです。 (T ^ T)
せっかく、お金を払ってまで入ったのに・・・トホホ。

CIMG7012でも、はわゆ兄おススメの白峰温泉総湯は、絹肌の湯と言われる、貴重な重曹泉なんだそうで、肌にまったりと纏わりつき、宿の御食事も岩魚フルコースで、ホントに楽しめました。
暑かった東京から脱し、気温は20度前後。
身体の中に溜まりまくった熱が出てゆくようで、ホントにシアワセでした。

そして・・・翌日はまた、1時間という時を掛けて再び、金沢から電車で旅立つ予定なのでありました★
つづく。