みなさま、明けましておめでとうございます~。

ume「ねんきら」、2度目のお正月を迎え、今月でレシピ数も250を超えました(!)
・・・始めた当初は、まず半年続けば良い方かいナ~・・・なんて思ってたんで
すが、始めたらけっこう面白くて着々と続いちゃいました。(^◇^;)
今年は4年住んだマンションともお別れする事も決めましたし、また春先にバタバタッとしそうな予感もありますが、今年もよろしくお願い申し上げます~。

・・・さて、旬エッセイでもお話をしましたが・・・はわゆサン★

食材昨年の1月の食材は「タコ(!)」だったんですが、せっかくお正月を迎えたんだから今回くらいは、ちょこっとだけ贅沢な食材を扱ってみたい★ (゜-゜)
・・・とはいえ一体、どんなモノが今の時期の旬食材なんだろう・・・と、悩み抜いておりました。
旬食材は、「食材カレンダー」のHPなどを参考にして、はわゆサンが選んだり。
時には、飯嶋先生に選んで戴いたりもしているんですが、一般に流通している食材のみ扱っている感があり、「ちょこっと特別食材」を選んでみたい時には、余り役立たないようにも。

そこで、写真撮影をお願いしている永井さんに相談。

13.09.30 0024今回は目出度くも、「鴨」特別旬食材の地位を獲得致しました☆
・・・高級食材を扱う場なら、冷凍のモノを置いてたりしますが、はわゆサンが足しげく通うスーパー辺りなら、この時期しか扱っていなかったりします。
というより、ほとんど見かけない。(-“-)
はわゆサンの好物という事もありますが、今回のお料理撮影は楽しみで、るんるんしながら吉祥寺まで足を運んだモンです。

・・・はてさて。

旬エッセイでもご紹介をしましたが、は縄文の世から日本人が愛して来た食材(!)のようです。
yjimageなんでも、室町時代までは野鳥といえば雉(きじ)や鶴に、雁(がん)に白鳥が主流(!)だったとか。
単に「魚」と書けば、を差し。
「鳥」なら「雉」だったんだそうで、そういえば「童話・桃太郎」もお供が雉だったような。。。
豊臣秀吉が鶴を食べていたのは、けっこうに有名なお話なんだそうです。

ところが、江戸期になってからは鶴はなんと禁鳥に(!)

白鳥もその数がぐっと減ったとかで、その代わりに鴨をよく使うturuうになったとも。

・・・徳川家康が江戸に入った当時といえば、まだまだ江戸城も荒廃した小さなお城で、この地も、民家もまばらな荒れ地だったのだそう。
この当時書かれた大道寺友山(江戸初期の武士で、兵法家)の「落穂集」によると、武家や町家を問わず、下々の食べ物としては犬より上等なモノはなかったのだとか★

・・・たしか日本は仏教国で、余り獣肉に当時は嗜みがなかったハズだけれど、、、

また、「特に冬となれば、犬は見つけ次第に打ち殺して食べてしまう(!)のだ」そうで、五代将軍・綱吉の頃までは、四谷に猟師の市が立っていたそうな。
niwatori・・・これで、鶴と白鳥はやられたな。。。
なんとなく、そう思ってしまう・・・はわゆサンである。(T ^ T)

獣は食べないけれど、割に鳥はよく食べていたという日本人ですが、今は当たり前に食べているニワトリも、戦国の辺りだと「ニワトリは、(勝ち)時を告げる神聖な生き物として意識していたので、戦国武将なども、あまり食べる事がなかったんだとか★
・・・かような訳で、卵もそうは食べず。
侍同士の饗応料理辺りでも、少ない卵を薄めて伸ばして、みんなで食べられるような調理法を取っていたそうです。

ただ、「鴨は渡り鳥なので、シーズンがあります」よね。

150677f764d4d5790b58f7efd0a63ed7食用として喜ばれるのは、真鴨なんだそうですが、中国で「鴨」といえば「家鴨(アヒル)」を指すのだそう。

アヒルは、鴨を改良して飼育できるようにした品種ですが、室町の頃に中国からやって来て、日本でも飼育されるようになったのだとか★

・・・ところが、脂肪に独特の臭いがあって、それを嫌がる御仁も多いのだとか。
なので今は、「真鴨とアヒルを掛け合わせた、アイガモ」が市場に出回っているのは、皆さまご存知の通りです。

ニワトリも卵も、江戸に入ってからなら庶民もよく楽しむようになったといいます。

吉原で遊女を買う時などは、「ここ一発の、元気が出る商品(!)」として、茹で卵を良く買い求めては食べていたとか。
2012031102534431f井原西鶴の描く江戸の世の頃になると、鴨はよく庶民にも食べられていたようで、鴨汁の他に鴨煎(かもいり、つまり炒めモノ)、鴨鱠(かもなます・・・つまり、鴨刺)に鴨飯などなど。
変わった処では、鴨を挽いて、ところてんのように突いて出した鴨そうめんなどが江戸の頃の料理書に紹介されています。

そういえば、西鶴といえば、一番活躍をしたのが、五代将軍・綱吉の頃。
鴨といえば、お蕎麦屋さんで鴨南蛮を良く見かけますが、この頃に小麦粉などのツナギを使った今のようなお蕎麦に到達したのだとか★

13.09.30 0239やせ地でもよく育って、成長も早い。
そんな事から、救荒作物として当時の人々に愛されていた蕎麦ですが、平安初期に書かれた「続日本記(しょくにほんぎ)」のその名を見る程に、日本人との付き合いは古い(!)
当時は、新芽を食べるのはもちろん。
その種実は、皮を剥いてから米に混ぜての蕎麦粥や、蕎麦雑炊として食べるのが主流だったようです。

それが、蕎麦粉にして、熱湯で練り上げて食べる蕎麦がきや、それを丸めて焼いた蕎麦餅にまで発展(!)

味付けには、味噌や、甘蔓(あまづら;当時の甘味料)で味付けをしていたようです。
それがいよいよ、今の蕎麦切りの形になったと言われているのは、二代将軍・秀忠の時代。
imgd6b89039zikazjなんでも、近江多賀神社の社僧の慈性(じしょう)さんが、江戸の堂明寺でご馳走になったなる記述が「慈性日記」に書かれているんだとか。
もっともこれは、まだ蕎麦粉だけで打ったもので、水かお湯、はたまた、餅の茹で汁かなんかで捏ねていたモノだったとか★

麦切りは初めの頃は、蒸して食べていたのは皆さま、ご存知の通り。
何故って、当時の製粉技術では、茹でると切れてしまうからだとも言われているそうです。

四代将軍・家綱の頃には、お江戸では「けんどんそば切り」なる店が出来ました。

こちらは、下々は食べるけれども貴人は食べない、大変にゲスな食べ物(!)として、蕎麦は扱われていました。
yjimageよしず張りで、戸板の上に黒椀に盛って出していたそうで、初めは菓子屋の副業として売られていたんだそうです。
・・・お菓子屋なら、蕎麦粉や、小麦粉なんかも扱っていたからでしょうか。

これがやがて蕎麦屋専業になっていき、上流階級にもどんどんと広まって、こうなると今までの食器もしょぼい。
「大名けんどん」と呼ばれる、螺鈿細工の器まで出てきたというのだから、笑ってしまいますよね。

この当時の蕎麦ツユは、味噌だまりと大根の絞り汁に削り節が使われていたそうです。

これが、醤油の普及でまた、変わっていきます。
江戸も下って、九代将軍・家重の頃になると、しっぽくなどの種物の種類も増えて、おそらく鴨南蛮も、この頃からでしょうか。
14.12.01-0187蕎麦粉の中に練り込む鯛切や海老切、胡麻切や茶蕎麦などの変わり蕎麦も始まりました。
「雛の節句には、五色蕎麦で祝う」など、どんどんと生活に定着していきます。

大晦日や引っ越し、お正月の帖綴じ。
・・・これは、江戸の頃の商家は、新年に帳簿類を新しくしたから。
大入りや、廓での布団の敷初め。
舞台での失敗は、楽屋への「とちり蕎麦」などなど、とにかく四季のけじめや祝儀に不祝儀にと、活躍していたんだそうです。
ちなみに、西の方では、蕎麦だけではやっていけなかったので、うどんも扱っていたのだそうですが★

今年も、こんな感じで始まる「ねんきら」ですが、楽しんでいただけますよう悩みつつやっていきますので、どうぞよろしくお願いします。
ご意見・ご感想など、お待ちしております。<(_ _)>